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時の鐘の銘文
時の鐘昨年末に除夜の鐘で「時の鐘」に登った時に撮影した写真の一枚です。鐘の南東面を撮影していますが、ここに本来ならば造営委員の名前と警備費義捐者指名がある筈なんですが....。夜で強烈にフラッシュをたいていて読めない....。その前に幾ら拡大しても文字がある事すら解らない...。他の三面は、一応読める。(北東面は、川越大火があって焼け落ちたので○○して作ります的な事が書いてある。南西面には、川越町長から町議会議員、町区長、区長代理者の名前。北西面には、鋳成日と鋳物師の名という感じである。詳しくは、「大江戸・小江戸川越 時の鐘ものがたり」に全文掲載されているので参照してください。
さて、今日は撮影失敗の話をしたい訳じゃなくて....この失敗した面に出ているはずの人物についてである。
ここには、先程も触れたが造営委員として7名...これは、地元の人?って事だと思います。次いで「警備費義捐者指名」では、
従四位勲四等 渋沢栄一
従五位 平沼専三、
正六位 原 善三郎
文学士 高田 早苗
在横浜 茂木 惣兵衛
    加藤 政之助
従五位勲五等 直中 忠直、
在東京 桐原 拾三
在東京 山中隣之助
の9名の名前が出ている筈なのですが、写真のとおり全然写っていなくて残念!来年再度チャレンジします。
さて、この「警備費義捐者氏名」は、北東面の銘文の中では、「当此時銀林君綱男高田君早苗等会本県出身之士於東京広檄千四方奨義捐集金数千円救済之資殆足....」となっていて県知事の銀林綱男氏と高田早苗氏ら本県出身の士東京に合いし、広く四方に檄して義損を奨め...という事らしい。
で、上記名簿の9名を観るとなるほど、埼玉県に関係する有名人?ばかりですね。
(上記でリンク無い方は、不明ですが...)
ただ、「在横浜 茂木 惣兵衛」との繋がりがイマイチピンと来ません。
明治の横浜を代表する商人ですので、生糸・織物の関係か?→川越織物市場と関係してくるのか?と思いきや織物市場は明治43年に建てらてるし、茂木惣兵衛自体が明治27年に亡くなっているので、ちょっと筋が違う。

では、なぜ?義捐金を出したのか?という疑問を解決してくれる話です。
江戸時代の前から続く南町の名主の子孫が当時「茂木商店」の総支配人をしていた様です。
明治26年の川越大火は川越だけの大きな話では無かったのでしょうね。明治天皇も御下賜金として1500円を賜っている事からもわかるように...。総支配人の実家のある町で大きな火事があり、町のシンボルでもある時の鐘を復活させようって云うなら義捐金を出すよ!と云ったかは不明ですが...

別の視点から考えると、総支配人に成るぐらいの商才があった人ですから、同じく義捐金を出している「原善三郎」との関係も考えないといけないかもしれません。当時の日本の主要貿易品の生糸の取扱で横浜の取扱を茂木惣兵衛と原善三郎の二人を含め5家で74%を占めていたようですから、ライバル関係にあった?と思います。そんなライバルが自分の故郷(実家もろとも焼失している)の復興に義捐金を出すのですから、負けてはいられない筈です。本当は、自ら義捐気を出していたのかもしれません。
ただ、そこは、トップと総支配人の差が出ますから、名義はトップ同士にしたのかもしれませんね。

いずれにしても推測の域はでませんが、横浜と川越との関係がこんな所にあるのか〜って時の鐘を見上げてみるのも良いかもしれませんね。
| 川越 | 19:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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